古くから伝わる四字熟語やことわざ、名言には、先人たちの知恵が凝縮されています。国や時代背景、慣習が異なるにもかかわらず、先人の言葉が現代に生きる私たちの心に染み入るのは、古今東西変わることのない、人としての生き方や、心のあり方、人と人とを結ぶ絆の大切さを教えてくれるからでしょう。今回は、アメリカのオクラホマ州で起きた奇跡的な出来事を、ことわざと絡めて紹介したいと思います。
人生にはいろいろなことがある。良いときもあれば悪いときもあるということ。沈めば浮かぶという意味に同じ。「浮世のならひしづむ背あればうかむ背有」(1701年刊行、浮世草紙、傾城色三味線)
8月と言えばお盆。お盆の期間には、故人の霊魂がこの世で過ごすと信じられていますよね。あの世から、送り火の煙に乗って戻って来て、迎え火によって帰って行く。ご先祖の姿は見えないけれど、お盆の期間を共に過ごしたような、穏やかな気持ちになれたという人も少なくないことでしょう。
アメリカのオクラホマ州でも、父と息子との温かいつながりを感じさせるような、不思議な出来事がありました。
農業を営むデイブ・ハンソンさんは、ある日、突然の自動車事故で妻と息子を亡くします。その数ヶ月後、彼は悲しみを紛らわせるために、学生アルバイト、A君とMさんを雇い、仕事に精を出していました。その二人が結婚することになったので、彼は自分のことのように喜び、友人たちと祝福パーティーを催すことにしました。
花婿、花嫁は、いったん故郷に戻ってからパーティーに出席する予定で、当日、ハンソン家では二人を迎えるための準備を進めていました。ところが、実家からハドソン家へ向かう途中でアクシデントが起こります。乗っていた車が、グレースリーブの北の山道で事故を起こしたのです。
事故から1時間後、花婿のA君は意識を取り戻しましたが、足を挟まれて身動きが取れない状態。花嫁のMさんは意識不明でした。事故現場は、ハドソン家からわずか数km離れた場所で、めったに車が通らない道。誰かに気付いてもらえなければ、死を待つしかありませんでした。
「それにしても遅いな」。皆は、なかなか現れない二人を心配し始めました。そのとき、家の電気ブレーカーが落ちて、会場が真っ暗になったので、友人たちは屋外に出て、ブレーカーのスイッチをオンにしました。すると、家の中が明るくなると同時に急に電話が鳴ったのです。「A君からかな?」そう思った友人のひとりが取った受話器からは、幼い男の子の声が聞こえました。
「パパ、スティーブだよ。見つけたよ、グレースリーブの北の山道にいたんだ」。声の主はなんと、亡くなったハンソンさんの息子でした。しかし、彼の息子の死を知らない友人は、電話で教えられた場所をハンソンさんに伝え、すぐさま数人で現場に駆けつけます。すると、事故に遭った車が見つかり、車中にはA君とMさんがいたのです。
二人は病院に運ばれ、危機一髪のところで一命を取り留めることができました。家で友人の帰りを待っていたハンソンさんは、彼らが帰宅するなり尋ねました。「誰がこの事故を知って教えてくれたのかね」。「スティーブ君さ。彼が私に場所を教えてくれたんだ」。その答えにびっくり仰天し、「そんなはずはない。スティーブンは2ヶ月前に死んでいるんですよ」と答えます。「バカな! じゃ、私が受けた電話は誰からだったんだ」。皆、背筋が凍りつきました。
果たして、電話をかけたのは天国にいる息子、スティーブからだったのでしょうか。その後の調べによれば、その電話はスティーブが生前、行方不明の飼い犬を見つけたときにかけてきた留守番電話で、電気のブレーカーをオンにしたことで、偶然にも録音が再生されたのだとわかりました。
不思議なのは、自動車事故が起きたときにタイミング良く停電になったことと、録音テープの内容が事故現場と見事に一致していたことで、これだけは説明がつきません。唯一確かなのは、ハンソンさんがこの事件以降、死んだ息子が天国から、いつも自分たちを見守ってくれているのだと思えるようになったことでした。
人の一生は、それこそ「沈む背あれば浮かぶ背あり」。沈んだからと言って、それきりではなく、再び浮上することができる。一時は悲しみに沈むことがあっても、ハンソンさんのように前を見て歩いていれば、喜びや幸せを感じる出来事に出会えるのです。そう信じる気持ちを持ち続けることが大切なのでしょうね。
(構成・文/松岡宥羨子)
参考文献/『科学では説明できない奇妙な話 〜偶然の一致編〜』(河出書房新社)