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心を通い合わせれば言葉は必要ない?

 古くから伝わる四字熟語やことわざ、名言には、先人たちの知恵が凝縮されています。国や時代背景、慣習が異なるにもかかわらず、先人の言葉が現代に生きる私たちの心に染み入るのは、古今東西変わることのない、人としての生き方や、心のあり方、人と人とを結ぶ絆の大切さを教えてくれるからでしょう。今回は、忠犬ハチ公の命日である3月8日にちなみ、実話を紹介しながらことわざに触れたいと思います。

心を以(も)って心に伝う

 以心伝心の訓読み。言葉や文字を使わずに、真理や悟り、また、気持ちなどを心から心へ伝えること。おもに禅家で使う言葉。わざわざ口で説明しなくても、自然に心が通じ合うこと。

10年間欠かさず駅へ通い、主人の帰りを待つ

 以心伝心という言葉は、言葉や文字を使わずに、相手の心に思いを伝えることの大切さを説いたことわざです。その相手とは人ですが、むしろ、言葉の話せない動物のほうが伝わりやすいと言えるかもしれません。

 その象徴と言えるのが、昭和10年3月8日に天国に召された「忠犬ハチ公」の実話です。ハチが、自分を可愛がってくれた主人、帝国大学の上野英三郎博士の帰りを待ち続け、博士の死後も10年近く渋谷駅に通っていたことは、誰もがよく知っている話でしょう。ただ、ハチが「名犬」として皆から愛されるようになったのは、帰らぬ主人を迎えに行くようになってから、7年も経った頃でした。

 昭和7年10月、朝日新聞に「いとしや老犬物語—今は世に亡き主人の歸りを待ち兼ねる七年間—」と題した記事が掲載されたのを機に、それまでハチを邪険に扱っていた人々の態度が変わり、ハチは「忠犬」としてもてはやされるようになりました。記事を投稿したのは、現・日本動物愛護協会の創設者で、当時、日本犬の保護・保存に尽力していた斎藤弘吉氏です。斎藤氏は、顔にいたずら書きをされたり、いじめられたりしても、渋谷駅にひたすら通い続けるハチを、見るに見かねて記事を書いたのです。

 その記事には、ハチが渋谷駅に姿を現す理由や、弱い犬を守るために、犬同士のケンカの仲裁に入っていたハチの勇姿が語られており、ハチをいじめる人々への中傷は一言も書かれていませんでした。だからこそ、余計に人の心を打ったのかもしれませんね。以後、ハチはたくさんの人々から可愛がられるようになり、その逸話は海外にも広く紹介されました。その数年後にハチの訃報が伝わると、渋谷駅で行われた葬儀に約3000人が押しかけ、アメリカやヨーロッパの子供たちからも募金が寄せられたと言います。

ハチのピュアな思いは今なお人の心に染み入る

 人間から見れば、主人が死んだことを知らずに、駅で帰りを待ち続けるハチは、とても気の毒に映ったことでしょう。当のハチはどんな思いでいたのでしょうか。

 意外にも、上野博士は生前、渋谷駅から帝大へ通っていたのではなく、当時、駒場にあったキャンパスに徒歩で通い、ハチは大学にも送り迎えしていたと言います。上野博士が渋谷駅を使ったのは、現・農業環境技術研究所に行くときと、海外などへ出張に行くときだけでした。ではなぜ、ハチは大学ではなく、渋谷駅で待ったのでしょう。

 遺族の話によれば、あるとき、上野博士が帰宅日を告げずに遠方に出張し、ハチがその帰りを渋谷駅改札口で待っていたことがあったそうです。喜んだ上野博士は、じゃれつくハチとしばらく遊んでやってから、褒美に焼き鳥をごちそうしたと言います。その話を聞いた、白根記念渋谷区郷土博物館・文学館の、松井圭太学芸員は、「ハチ公は、博士が何日も留守にするときは、渋谷駅から帰ってくると理解していたので、博士の死後も渋谷駅で待っていたのではないか」と考えています。

 ハチにとって渋谷駅は、出迎えをことのほか喜んでくれる上野博士と再会できる大切な場所だったのです。ただ一途に「大好きな主人に会いたい」という思いで、再会を信じて通い続けたのでしょう。ハチを通じて、上野博士の愛情もひしひしと伝わってきますし、ハチ自身もその心をしっかり感じ取っていたはずです。ハチの話が人の心の琴線にふれるのは、何よりも、ハチの思いがピュアであったからではないでしょうか。

 現在、上野博士は、三重県の上野家の墓で眠っていますが、東京の青山霊園にも、分骨埋葬された博士の墓石があります。その傍には、寄り添うようにしてハチの記念碑が建っています。ちなみに青山霊園の区画は、博士の大学の弟子たちが、上野夫人のために購入したものです。なお、ハチの銅像は、渋谷駅前と、生誕の地である秋田県の大館駅前にあるほか、試作品が見つかった山形県でも、2012年より一般公開されています。

 その3年後の2015年3月8日、ハチ没後80年を記念して、東京大学農学部弥生キャンバスで「ハチ公と上野博士像」の除幕式が行われました。大喜びのハチが博士に飛びつく様子を現したこの像は、前述の遺族の話をモチーフにつくられたそうですが、ようやく再会を果たしたハチが、「待っていたよ!」と語りかけているようにも見えます。

 あえて言葉に出さなくても、ちゃんと心は通い合っている……。人と人もそういう関係でいられれば、もっと生きやすい世の中になるかもしれませんね。

(構成・文/松岡宥羨子)

 

※参考文献・『忠犬ハチ公物語』(千葉 雄)、『東大ハチ公物語』(東京大学出版会)

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