世界中の人々が互いを尊重し、心を通い合わせて真心で接すれば、兄弟のように仲良くなるという意味。また、そうでなければいけないという考え方。“四海”とは四方の海、“同胞”は祖国が同じ人々や兄弟姉妹のことを指す。
2015年4月より放送が開始されたテレビドラマ、『アルジャーノンに花束を』の原作者が、アメリカのダニエル・キイス(1927〜2014年)だと知っている方は多いでしょう。2002年に放送されたドラマも同様、原作とは異なる脚色が見られますが、キイスが伝えたかったことは感じ取れるのではないでしょうか。
原作では、主人公のチャーリー・ゴードンは、昼はパン屋の雑役として働き、夜は知的障害者専門クラスに通う32歳の青年です。大人でありながら6歳児ほどの知能しか持たない彼は、つねに同僚の嘲笑の的でしたが、笑われるのは好かれている証拠だと信じる純真さと、人の良さを持っていました。彼の夢は、利口になって皆といろいろな話ができるようになること。そのために夜学で懸命に読み書きを習っていたのです。
そんなある日、クラス担任のアリス・キニアン教授から、願ってもない話が舞い込みます。大学で開発された脳外科手術を受ければ、賢くなれると言うのです。彼は大学の研究室で、手術を受けて高度な知能を持つようになった白いネズミ、アルジャーノンに出会います。チャーリーはアルジャーノンと迷路実験で競争しますが、何度挑戦しても勝てません。しかし、精神科・脳神経外科医のストラウス博士から、「手術を受ければアルジャーノン以上に利口になり、皆と変わらなくなる」と言われ、被験者になるのです。
手術を受けたチャーリーのIQは、68から徐々に上昇し、185に到達。知識を習得する喜びを満喫します。その一方で、母親に捨てられた理由、友達からバカにされていた事実を理解できるようになったことで苦しみ、キニアン教授に対する恋愛感情の芽生えや、人を見下す態度を取るようになってしまった自分に戸惑いを覚えていました。そして、職場仲間の嘆願書によってパン屋を解雇された彼は孤独感を募らせていくことに。
さらに、衝撃的な事実がチャーリーを襲います。アルジャーノンの異変に気付いた彼が独自調査を進めると、「人為的に増進された脳は、増進に要した同じ速度で退化していく」という仮説が導き出されたのです。数日後、アルジャーノンは死に、解剖結果から仮説が立証されます。知能の退化を止める方法を模索するも術はなく、彼は急速に元の状態に戻っていき、再びパン工場で働きますが、キニアン教授や周囲の人々の憐憫の情に耐えられず、自ら養護学校へ入る決心をします。「もしヒマがあったらウラニワのアルジャーノンのおハカに花束をあげてやってください」と結んだ手記を残して……。
『アルジャーノンに花束を』は、全篇がチャーリーの手記で構成された小説です。「けいかほーこく 19653がつ5か」から始まる彼の文章は、誤字、脱字だらけの稚拙なものでした(英語の原文では、単語の綴りや文法、カンマの使い方の間違いで表現している)が、賢くなるにつれ、きちんとした文章に変わっていきます。
原作を読んで、「まるで実話のような衝撃と感動を覚える」という感想を持つ方が多いようですが、実はチャーリーにはモデルがいました。1950年代後半のこと、英語教師として教鞭を執っていたキイスは、知能指数の低いクラスも受け持つことになり、正しい単語の綴りと文法を教えていました。初日の授業終了後、一人の少年がやってきて、「僕がうんと勉強して賢くなったら普通クラスに入れてくれる? 僕、賢くなりたいんだ」と言います。キイスにとって、当時、発育機能に障害を持つ人々が、自分の状況を知りつつも知能向上を願っていたことは思いも寄らないことでした。この会話がきっかけとなり、チャーリー・ゴードンというキャラクターが誕生するのです。
キースは大学時代に、「人間の知能を増大させられるとしたら、どうなるのだろう」「僕の教養は愛する人々の間に楔を打ち込む」と書き記したメモの存在を思い出し、物語の構想を練っていきます。そして、感情や精神が知性に追いつかないまま天才的な頭脳を獲得した主人公が、再びすべてを失うことで悟った事柄を、現代社会への警鐘という形で著すのです。「知能の向上や知識の獲得だけでは何の意味もないことを僕は学んだ」「人間的な愛情の裏打ちのない知能や教育なんて何の値打ちもない」と。
上記のチャーリーのセリフは、 “アルジャーノン”に起きた出来事が現実となったことを受けて、キイスが語った言葉と同じでした。さらに、「必要なのはエンパシー。幼い頃から共感する心を教えるべきで、相手の身になって物事を見つめることが大事。真に相手の気持ちを理解するためには、痛みや苦しみも分かち合うことだと思うし、人間がより高度な知能を手に入れる前に、そこから始めていくべきだと思う」と語ったそうです。
人はどうしても、自分中心に物事を考えがちです。でも、相手の心の痛みを自分の痛みとして感じ取れれば、互いを尊重し、真に心を通い合わせることができるでしょう。その思想こそが「四海兄弟」で、そのような世の中になれば、いじめや暴力、戦争が減っていくかもしれませんね。(構成・文/松岡宥羨子)
参考文献/『心の鏡』(ダニエル・キイス著、早川書房刊)、『ダニエル・キイスの世界』(早川書房編集部)